「イギリスから見た日本経済の再生」
舟 場 正 富
神戸商科大学教授
1.はじめに――新産業主義とは?
最初に自己PRで恐縮だが、昨年10月に「ブレアのイギリス」という新書(PHP)を執筆する機会があり、刊行後に各方面で取り上げられるなどの反響を呼んだ。その中の一つに、ロンドンにあるヨーロッパ復興開発銀行(EBRD)に勤務する日本人の職員から「この本は日本にとっても有益な内容である」というのがあった。私の意図も、単にイギリスの政変を紹介するというために執筆したのではなく、まさにこれからの日本について考えるために書いたのであるから、我が意を得た気持であった。しかしながら、新書の中では、当然のことながら日本経済についての言及は断片的にしかできず、ブレア政権の進めている改革が日本の将来にとってどのような意味があるかや、今後の日本経済に関する私の考え方もほとんど触れることができなかった。この機会に、21世紀に向けての社会システムの改革に大胆に取り組むイギリスの新しい政治の姿から日本の課題を探ってみたい。
先進資本主義国の中でも、最も早く成熟社会に入ったと言えるイギリスにおいて、「イギリス人はもっとよくなる資格がある」「イギリスは若い国である」といい、さらには「イギリスは日本と同じように豊かな国になるべきである」として、21世紀を目指す社会システムの抜本的な改革に突き進んでいるニューレイバーの政策集団は、内外に大きなエネルギーを発揮していることは、周知のごとくである。このようなことが何故可能なのか。その背景には、時代の流れを鋭く感知して、古いスタイルの労働組合に依拠してきたイギリス労働党(ここではオールドレイバーと呼ぶ)を改革して、ニューレイバーを発足させてきたブレア主義者の結束がある。その転換点は1995年の「綱領第4条」の変更にあり、社会主義的な国有化が政策目標とされる「革命」政党から、「多数の利益」を目指す社会民主主義政党へと脱皮したことにある。「変化なき党は死ぬ」というのが彼らの口癖である。 幸いなことに、ケンブリッジ大学に滞在している間に、1997年の総選挙と政権交替、組閣、政策推進の始まりをつぶさに観察してきた体験から、私は彼らが何を実現したいかを実地で把握することができたと思う。それはサッチャーの新自由主義が崩壊させようとした、戦後の福祉国家が作り上げてきた枠組みへの回帰ではなく、サッチャー以上に現実主義的な、国民が豊かになるための政策体系の実現への決意であったといってよい。私は、上記の著書の中でこのような政策体系を「新産業主義」という言葉で形容した。その意味は、技術革新の時代を生き残るためには、国民全てが高度の教育水準を確保して、働く意欲と能力、それにふさわしい雇用の場を得るようにしなければならないということである。
私がここで用いた新産業主義という言葉は、それゆえ情報化時代における技術革新と雇用のあり方の関係の変化を踏まえたもので、従来の産業国家論や企業社会論とは異なる内容のものである。具体的には、情報ネットワークを通じて個性豊かな分業の担い手たちが結合されてそれぞれの自己責任と相互貢献によって社会のニーズを充足させて行く共生的な社会システムのことである。ブレア自身もそのブレイン達もこの言葉を用いているわけではない。おそらくは、それを用いることがトーリー(保守党)との間の違いを曖昧にすることを気にしたのであろう。しかしながら、彼らの政策課題の取り組みの体系は、教育からも福祉からもこの方向に収斂するしくみになっていることは否定できないのである。
新産業国家という言葉は、かつてガルブレイスによって用いられ、その意味は、大企業と高級官僚組織で構成されるテクノクラートが、国家の政策形成並びに遂行の担い手となる社会のことであった。こうした社会システムは、重厚長大型の産業が中心的な存在であった時代にふさわしい姿であり、社会主義計画経済においても通用する内容といえよう。しかしながら、イギリスのような労働市場の階層分化が進んでいるところでも、「ボルトとナット」型の労働者の活躍する職場はファクトリー・オートメーションによってきわめて狭くなっている。情報化社会の到来は、福祉国家とも新自由主義とも異なるアプローチを求めているのであり、このテーマはひとりイギリスのものだけではない。
以下、ブレア政権が福祉国家の残した諸制度とサッチャー時代の市場主義のもたらした課題を乗り越えて、どのようにイギリス社会の再生に取り組んでいるかを明らかにする。
2.製造業の衰退とその影響
今回の総選挙で当選したニューレイバーの国会議員を評したイギリスのある新聞は、多くは赤煉瓦大学(red
brick university)かポリテクニック(専門学校)の卒業生で、地方自治体の議員を経験していると書いた。この赤煉瓦大学とは、19世紀の終り頃にマンチェスターやシェフィールドなどの工業都市に作られた大学であり、そこでは当然ながら実業教育が重視された。イギリスのミッド・ウエスト(アメリカの5大湖地方で重工業地帯を指す)ともいうべき製造業の中心にあり、そこでは産業革命以来のものつくりの伝統がある。いやむしろ「あった」という状況かもしれない。日本や欧米の諸国との競争に後れを取り、サッチャー政権の登場の直接の引き金になったオールドレイバー指導によるストライキの多発が、その後のこれらの地域へのトーリー政府による切り捨て政策へとつながって行く。
これによって、イギリスの産業システムは大きく変化した。国内の製造業の衰退により、ロールスロイスも含めて自動車産業は全て外国企業の手にわたり、ものつくりの場は外国からの工場の誘致や、国内の産業への海外資本による買収に依拠するようになったのである。また、1986年末のビッグバンを契機として進んできた、外国の証券業者による国内証券業に対するウインブルドン現象(外国人への場所の提供)が進んだ。サッチャー政権の目指した繁栄は、国内の非効率で既得権に守られた産業への支援ではなく、むしろそれらを排除して、国際的に競争力のある効率的な産業を育てたり、外国から誘致することがイギリスの繁栄につながるとするものであった。それゆえ、ロンドンを中心とした金融市場は世界のマーケットとして再生したが、地方の製造業に依拠する地域の衰退は激しく、失業率の上昇と、福祉支出の対象となる要援護階層の増加を見た。新自由主義の経済政策が、結果的には福祉支出の増加を引き起こすというパラドックスが、ここに現われたのである。しかしながら、これは必ずしもサッチャー政権の所産ばかりとは言えない。
低技能労働者への雇用ニーズが減った原因については、2つの経済的要因が挙げられる。第1は、技術革新に伴う急速な新技術の開発と融合及びそこに現われる労働組織の新しい形態が単純労働の活躍の余地を狭めたことである。第2は、国際的な取引の連携が深まるに連れて、低技能労働力の豊富な外国との間に分業関係が深まり、先進国内における単純労働の生産物を輸入で代替するようになるのである。一般には前者の要因の方が大きいとされるが、両者が相互補完的に影響しあってきたと言われている。(H.M.Treasury,The
Modernization of Britain's Tax and Benefit System,1997.)
現実の雇用面では、80年代から90年代の前半にかけて失業者数の急上昇とその高原状の推移が観察されていたが、最近その中身に大きな特徴があったことが判ってきた。この時期に生じた雇用減の労働力の種類との関係を見ると、いわゆるブルー・カラーの階層は雇用場面を大きく低下させており、その反面で大卒専門職の雇用は、比較的安定的に増加したのである。所得の格差は拡大して行ったことは言うまでもない。1977年を100とする男性の実質賃金の伸び率は、1995年までに、高所得の10%については1.8倍であったのに対して、最低所得の10%に於いては1.1倍程度でしかなかった。そして、国民ひとり当たりの所得も80年代の後半からはイタリアを下回るところまで低下し、経済のパイそのものが小さくなるという状況に陥ったのである。
このような中で、トーリー政権下における製造業の誘致が、日本を含む海外の先端的な産業に向かい、ある程度の成功を収めてきたことは確かである。トヨタ、日産、ホンダ等の日本の自動車メーカーが、それまで操業していた工場とは比較にならないほどの高い生産性と品質管理を、イギリスの従業員の手で実現したことは、その経営のノウハウの移転面からも歓迎されている。そこでは、生産現場は単純労働者でおこなうといった方式は採用されず、採用時には全ての職場にフレクシブルに適用できる水準が要求される。トヨタのダービーシャーの工場の場合、2千人の募集に対して20万人が6ヶ月かけてセレクトされるという状況であり、高い生産性の工場を発足させることができたのである。大衆紙の「サン」が、「イギリスカーは最高 ―― 但しそれが日本企業のバッジを付けていれば」という記事を掲載したことも、その成果の一つである。日本の製造業の高品質は、イギリスにおいても製造業の再生に寄与しており、その評価は高い。
3.公共セクターへの新しい見解
日本社会は、発展途上型と成熟型の両方の要素を持ちながら、20世紀を終わろうとしている。戦後の50年間は、産業発展に重点を置いた経済政策を採りつつ、内外の技術革新を経済的な成果に結合させる取り組みに成功してきた。その意味で、福祉国家への傾斜がもたらす国民の公的な扶助への依存体質はあまり深刻にはなっていない。失業への給付や年金や福祉支出が国民負担となる福祉国家の高負担が課題となるのは、これからである。これに対して、イギリスの社会は、福祉国家の伝統は戦前からのビバリッジ報告を受けた戦後最初のアトリー内閣による地域担当医が無料で患者を診る国民医療制度(NHS=National
Health Service)をはじめとして、さまざまな給付制度がかなりの手厚いレベルで出来上がっている。それが国民の依頼心と、高福祉高負担の財政運営をもたらしたのである。例えば、NHSの場合、医療技術や機器の水準が戦後の法律制定時とは全く異なる段階にあるにもかかわらず、無料運営を継続することには限界があることは明らかであった。サッチャー時代には、有料の自由診療を認め、民間保険会社の加入の病院利用が始まったために、高所得者の医療機会は保障されたが、一般の公的な診療は極めて狭い門となってしまった。乳がんが発見されたのに、手術をNHSの病院で受けようとすると一年間待たねばならないという状況になってしまい、100万人の待機者が発生したのである。
公共セクターの膨張がもたらす高福祉高負担に対して、規制緩和や民営化を推進することに対しては、公共サービスの種類によって異なる対応が必要であることが次第に明らかになって来た。幼児教育の市場化を進めるために、4才児の父兄に年間1100ポンドを支給する教育バウチャー(切符)は、教育の供給施設の側に混乱をもたらして、1年の試行と半年の実施で廃止された。その最大の問題は、公立の小学校と民間の幼稚園やプレイグループの間のバウチャーの奪い合いであり、子供が翌年に進学できるという特権を誇示した小学校側の大人数クラスが有利であるという結果が現われたことにある。公共セクターに市場主義を導入することは、理論的には成立しても、実際にやってみると大量の行政コストがかかったり、サービスの供給側や受益の側に混乱をもたらすケースである。
しかしながら、公共セクターの事務や事業の多くを、既存の公共事務の遂行者も含めて入札させて、落札したところがその年の請け負いをするという方式は、サッチャー時代に法制化されたものであるが、ブレア政権も受け継いでいる。彼らは選挙キャンペインのときから、「公務員の利益と市民の利益が対立する時は後者の側に立つ」と明言していたからである。このほかに、民営化によって、コストダウンに成功している部門も少なくない。
日本の場合、国と地方の財政危機が進行する中での高齢者福祉の充実の必要性が論議されているが、その方式は相変わらず行政主導型である。しかしながら、その中から、もともとボランティアなどの形で始まった高齢者への給食や介護サービスの市場化を進めるような「すきま産業」の芽生えも見られ、それらが一般家庭に対する供給へと広がりつつある。大企業や行政によって担われてきた雇用に対して、自主的な起業活動の生み出す雇用が育ちつつあるといえるのである。
福祉国家における公共セクターの役割の最大のものは、これまで経済循環に対する安定装置になることとされて来たが、80年代以降のイギリス社会に於いては、経済変動による失業者の割合は構造的な失業者の割合を下回るようになって来た。ケインズ経済学では、失業者はマクロな政策によって完全雇用に吸収できる存在とされ、フリードマンらの自然失業仮説に於いては、マクロな政策を採用してもその率は変化せず、賃金や物価を上げるだけだという形で、政策の対象から外されている。しかしながら、ブレア政権の理論家たちは、「完全雇用という言葉の21世紀的定義は、全ての人々への雇用機会の提供ということであり、マクロ経済学の需要管理だけでは達成できない」ということである。かくして、新産業社会に対して適応できる教育の改革と、失業者や公的な扶助の受給者に対する従来の給付型とは異なる抜本的な政策体系が打ち出されるのである。
4.国造りとしての教育改革
産業構造の変化は、技術革新に引っ張られた製造業のハイテク化の動きと、情報化の進展が従業員に基礎学力の向上を余儀なくさせる第3次産業の従業者の質的変化を伴ってきた。イギリスでの大学への進学率が、90年代に入って10%台から30%近くに向上したのは、「大学を出ていないとセインズベリー(スーパーチエーン)のレジにも立てない」というほどの雇用への不安からであった。
こうした社会の要請に応えるだけの教育が国民に保障されているか、これまでのイギリスの教育システムのありかたそのものを再検討する公約を、ニューレイバーは掲げたのである。教室を教師の聖域とし、外部からの指示介入を拒否する自主的総合教育の方式は、サッチャー時代に学力を犠牲にした教師の自己満足として既に拒否されてきた。具体的には、ナショナル・カリキュラムによる読み・書き・算術の基準を学年別に定め、統一学力テストを課すという方式を創ったことである。しかしながら、その手段として、エリート校を作るような広域学区の自由競争の出現などがあり、落ちこぼれ校はますます悪くなって行った。「教育とは生徒の選別である」という効率主義が発揮されたのである。その結果として、公立学校の中にもエリート学校が出現する反面でいわゆる落ちこぼれ校(failing
school)が発生し、その対策は無視される傾向にあった。
新政権の教育政策は、学校運営や教師の教育力に対する厳しい内容を持つものである。
イギリスの産業が良質な労働力のすそ野を失って、製造業を中心に品質の向上に失敗して、ハイテク時代のものつくりに対応しにくくなっている点を強く認識している事が、ニューレイバーの政策を貫く問題意識である。それ故、学校の学力水準の向上についてはサッチャー以上に強い要求をし、さらにどのような地域の学校に対しても、たとえ通学範囲が学力の競争において不利な状況であっても、教師の力で全国的に対等な競争レベルを達成するように要求する事になる。例えば、ロンドン東部のハックニー・バラの場合、そこが移民の多い地区(カリブ海地区を始めとして3分の1がエスニック・グループで、しかも特定の校下に集中する傾向がある)で、言葉のバリアーから保護者の生活の不安定まで学力に影響する環境を沢山持っている。ニューレイバーはこのような都市問題に対しても、教育は等しく責任を持つべきだとする。(これは明らかに無理な要求であり、従来とは異なる対策が必要となる。)
このような見地から、ニューレイバーは次の様な選挙公約を出した。(1) 成果の上がらない学校への制裁措置: 学力テストで成績の改善に失敗した学校に対しては、大臣はフレッシュ・スタートを命じることが出来るようにする。これは元の学校を廃止して同じところに新しい学校を作るという制裁措置。良い学校と悪い学校が近くに共存しているとき、LEAs(地方教育当局)が前者が後者を吸収合併して後者を改善できるようにする。(2) 教育の停滞に対する攻撃: どの地域に属する学校であろうと、レイバーは学業の未達成には容赦はしない。パブリック・プライベート・パートナーシップは、学校の建物の条件を改善する。水準を達成しない学校には高レベルの教師や校長のリクルートを行い、低水準の学校を攻撃する教育アクション・ゾーンを設置する。遅れた子どもに対するマン・ツー・マンの支援を行うボランタリー・モニタリングを支援することや、14歳以上の子どもに対して、製造業や商業の知識や経験を獲得させて彼らの学習を高める等の新しい機会を作る。(3) 教師への強制と支援:
学校は決定的にすべてのスタッフの質に依存している。教師の多くは有能でかつ献身的であるが、一部には欠点がないわけではない。我々は教師のトレーニングを改善し、すべての教師の採用に当たっては彼らの教育の適正を見るために予備期間を設ける。教師の水準を論議し向上する総合教師会議(General
Teacher Council)を設置する。我々は、教師に関する新しい基準を作り、最良のあり方を示す。しかしながら、仕事に耐え得ない教師に関しては速やかに、又フェアーに辞めさせる手続きをとる。学校の強さは、その校長の質に決定的に依存している。我々はそのポストに対しては職務上の採用基準を作る。校長はその職務を受けるだけの全部のトレーニングを終えた後にその職に任命される。(以上、主要項目のみ要約。)
ブレア政権の教育に対する執念は、それがイギリスのあたらしい産業社会の命運を握っているという確信に基づいていると言ってよい。その根底には、子供の学力の底上げを実現し、イギリスの産業の競争力を強化し、将来の福祉コストの削減に寄与させることをターゲットにしていることは間違いない。
1997年5月末、学力テストで水準を大きく下回った18校の名前が公開された。失敗校と呼ばれ、レイバーの公約では、「校長のリクルートを行う」ゾーンとして取り扱うことになるのである。これらの学校の実態は余りにも酷く、教育雇用省は、次のような措置を取るように勧めている。すなわち、リーダーシップを変える事、明確な行動計画を出す事、無能な教員を厳しく取り扱う事、学校の名前を変える事、新しい校長を加える事、一貫した行動政策を採る事などである。これらはいずれも相当深刻なレベルの対応であることは、一目で分かるであろう。事実、校長も教頭も逃げ出して、事実上廃校となってしまった学校に、その場所で再建するといってもあたらしい校長や幹部教員はそんなに簡単に見つかるものではない。18校の担当者は、彼らの改善計画を教育雇用省に提出する事を求められる。締め切りまでに改善に失敗した学校は、幹部教員の配置転換を受け入れなければならない。教員組合は、教師と生徒のやる気が既に低下している学校に対して、「名前を挙げて辱める」ことには反対している。しかし、ブランケット教育雇用大臣はBBCラジオ4で「教育は聖域ではない。それは小宇宙ではない。それは子供にとっての生きる機会に関わるものだ」と語った。
こうしたニューレイバーの教育への介入は、教員組合にとっても大きな問題となっている。しかし、その中には、教師の地位や待遇の向上を含むものが少なくないので、その対応は簡単ではない。例えば、学校の水準の向上に寄与した教師のトップクラスはナイトに列するとか、教育士という資格認定の交付を行ってその職業としての地位を高めるなど、これまでの平等指向、低位救済の組合の基本性格に合わないメリット主義が強調されるからである。このような中で、スーパー教師という形での給与面からの特別待遇の計画が出てきて、組合サイドでは問題にしはじめた。また、優秀な成果を挙げた教師に対して特別給与体系を適用する方針も打ち出した。これに対する組合側の批判は、その意図は純粋な教育目的とはいえず、政治的なものといわざるを得ないというものである。給料の高い教師を別に作ることは、既にクラスで良い仕事をしている教師の上に教師を作ることであり、そのサラリーの高さも問題であるとしている。
5.福祉のニューディール
経済学でニューディールと言った場合には、ケインズ経済学の適用によるマクロな財政政策と関連付けることが常識である。財政赤字や金利などの政策変数を用いて、経済の安定成長を管理できるという体系である。しかしながら、ブレアが指導するニューレイバーが提起した福祉は、過去の福祉国家や失業者の減少を目指すマクロな景気刺激策ではない。また、福祉の対象者に対する手厚い保護を財政的に講じる様なビッグ・ガバーメント志向の高福祉・高負担経済の再現でもない。彼が提唱する福祉政策とその実験は、「福祉のニューディール」と呼んでいるものであり、人々の意欲を引き出して、それが社会の諸階層の協力でパートナーシップを発揮して行くというものである。それは国民に働く事の能力と意欲を持たせ、技術革新と教育を重視するもので、福祉国家への回帰でもなく、新自由主義の継続でもない。福祉の対象となっている人たちと、民間企業と、政府が共同してパートナーシップを作って、未来の福祉施策を模索する提案であった。
彼らの見解によれば、福祉国家は今日では二つの基本的な弱点をもつにいたった。その第一は、貧困を効果的に救済できなくなったことであり、第二に、自立を促進して救済から仕事への移動を適切に進めていないことである。あまりにも多くの人がそこに定着してしまって、その設立趣旨から離れてしまい、また費用便益効果もない。新しい福祉システムの原則は、金持ちも貧乏人も社会のすべての人々が参加してのみ作ることができるのであり、これまでの福祉のように、貧困者のために社会の剰余を配分するシステムではないのである。そこで強調されるのは、福祉は自立を促進する手段としての社会システムであり、失業給付も含めて、その受給者が自分で社会に対して貢献して行く機会が得られるように保障し、そのための協力を企業やボランティア団体などに求めて行くという一種の間接給付システムの構築である。
その具体化であるウェルフェア・トウ・ワーク(福祉から仕事へ)のプログラムは、次のような中味から構成される。
1.6ヶ月以上失業しているすべての若者に仕事又はトレーニングを給付する: 我々は25歳以下の25万人の失業している若者に対して、就業、教育及びトレーニングの機会を与える。4つのオプションが用意され、それぞれが採用に導く教育又は訓練を含んでいる。
a.民間部門での雇用者は6ヶ月間にわたって週60£の就業補助金を受ける。
b.非営利ボランタリー部門の雇用者への就業も6ヶ月間補助金と同じ額に一定の上乗せ額を週給として支払う。
c.認定されたコースでの就学以外での若者のフルタイムの学習。
d.レイバーの市民サービス・プログラムにリンクした環境保護団体の仕事。
2.公的扶助を受けている100万人をこえるシングル・マザーの就労問題の取り組みを抜本的に進める。ほとんどの1人親は働くことを望んでいるが、それを見つけることができない。ニューレイバーは積極政策で対応する。下の子どもがフルタイムの学校の2学期に入ったときに、一人親は雇用促進サービスからのアドバイスを受け、仕事や訓練を始めるようにする。子どもの放課後のケアを行って公的な扶助から脱却できるようにする。
以上のマニフェストに貫かれている思想は、すべての福祉受給者に対する就業の奨励であり、その条件作りに関して政府はさまざまなメニューを対象に応じて進めるから、すべての受給者はそれに対応するようにすべきだという方針である。これを民間とのパートナーシップで進めて行き、それに対応できない場合でも給付型の福祉は打ち切ってしまうという方針である。
イギリスの公的給付は、年間1000億ポンド(20兆円)に達しており、経済変動によって変化する部分はそのうちのごく一部である。大部分は社会の構造的な存在となってしまっている事実に挑戦することを課題とするのである。そのためには、労働者の意欲や質の向上と共に、雇用者との協力が必要となり、政権交替とともに既に若い失業者に対するこの制度にのった求人が表明され始めていた。この計画は、発足後1年間に10万人の参加を得て、そこからの退出者の内の4分の3は補助のない一般の仕事に移っている。
シングル・マザー等に対するウェルフェア・ツー・ワーク計画は、さまざまな波紋を投げかけた。彼女達に対する生活扶助を廃止して仕事につかせるようにするという基本方針は出されたが、その具体化は容易ではない。政策当局サイドでは、手当を受けている母親たちは、福祉のワナに落ち込んでおり、仕事を探したり子供を預けたりするところを探すことが出来なくなっているのだと見る。こうした点をサポートするための保育所作りに関しては、公共民間を通じて全国的に取り組む体制を作ること、さらには、税制面において、就業するならば低い賃金に対する「負の所得税」(課税所得に満たない人への給付)の発足が進められており、公的扶助から脱却して就業するものへの公的支援へと切り替えて行くことになる。
6.結 び
日本経済は、バブル時代の後遺症で長期の不況下にある。その全体像を把握し、それをマネージするしくみが作られる以前に、対症療法的に政策が打ち出され、失敗を重ねてきたのが現状である。個別的な批判は沢山出ているが、原点に迫る視点は出ていない。ここではケインズも市場学派もお手上げの状況である。イギリスでは、金融ビッグバンとハイテクへの対応の遅れが重なって、製造業の基礎が侵食されるという困難の中で、21世紀にむけての経済と生活の再生へのトータル・プランを提起したニューレイバーが圧倒的な支持を受けて政権を樹立して政策の実行に突き進んでいる。
その中心課題は、かつての公的扶助を中心に置いた福祉国家から脱却して、国民に自立への支援を行い、産業活動への貢献を求めて行こうとするものである。そのためには、何よりも基礎教育への教師の取り組みの責任体制を明確にすること、公的給付に依拠した生活を選ぶのではなく、技能を身につけて働けるように政府も事業者も支援していこうというものである。
私がブレア政権の政策体系を新産業主義と呼んだのは、全ての国民が元気で快適に働けるような社会システムを作るプログラムを明確に提示して実現するという、全く新しい取り組みを出発させ、それが着々と実施に移されているからである。マクロな経済政策の有効性を否定するものではないが、自立した個人の活力と意欲が経済の基礎になければならないのである。日本の今の姿は、高いレベルの技術革新と生産能力を生かすだけの市場を失い、国民の貯蓄や外貨を活用できないままリストラなどの雇用不安を深めているという、政策不在の中での活力と意欲の喪失であり、従来とは異なる発想が求められのである。
フィナンシャル・タイムズ(ロンドン)でクルーグマン(Paul Krugman)マサチューセッツ工科大学教授は、日本経済の将来像に関して次のような見解を述べた。「日本の長期不況には、銀行救済の対策がなされているが、そんなに簡単なものではない。基本的には、S−I=X−Mの罠に陥っているという供給過剰にあり、回復の兆しはまだ遠い。(1998年10月27日)。
私はこの主張に対して、その対策はないわけではないと考えている。何よりも日本国民一人ひとりに働く機会を与え、将来の不安をとり除けるように社会システムを変えること、また日本の高度な生産力と技術を、発展途上国の国民のニーズに生かせるように活用する。それにはアジア・マーシャルプランのような思いきった新しいポリシーが必要となる。