<随 想>
阪神・淡路大震災から15年に思う


人と防災未来センター 研究副主幹
永 松 伸 吾


 先日JR岸辺駅から西明石行きの電車に乗った時のこと、私の隣に座った初老の上品な2人のご婦人方の会話が耳に入った。どうやら、一方の女性が、電車の乗り継ぎ方を調べる方法が知りたいということであった。
 「そういう時はね、インターネットで調べるとええらしいで。」
 「ああ、よく聞くね。そのインターネットっていうやつ」
 「そう、うちの息子も何かあったら必ずそれで調べてはるわ。すごく便利やて。なにせ、24時間やってるらしいから。」
 「へー。夜中もやってんの。そら便利やねぇ」
 どちらもインターネットを知らないが故の素朴な発言に、思わず笑いがこみ上げてきた。そして、いまや高齢者といえどもインターネットから無縁でいられないのだなと改めて思った。15年前なぞ、ほとんどの人がその存在すらも知らなかったであろうに。


 あの震災から15年。かつての被災地には日常の生活が広がり、もはや震災の影響を探すのが難しいほどである。もちろん、震災後の様々な問題が解決されたというわけではなく、時間の経過によって見えなくなったと言った方が正しいかもしれない。そして同時に、震災の経験も風化していると言われる。私が勤める「人と防災未来センター」では、今年度は「もっと伝えよう」をテーマに、毎月阪神・淡路大震災の教訓を伝えるセミナーを開催している。それは、教訓の風化への危機感もあるが、今後の災害に対して生かせる教訓はまだまだあるはずだという思いもある。
 だが、それでは次の巨大災害、例えば首都直下地震などに対して、阪神・淡路大震災の教訓がどの程度どのように役に立つのだろうか。いろいろと考えてみると、当時の社会経済状況と、今とではあきらかにいろんなことが違っている。先のインターネットなどはその一つの事例だ。インターネットの普及により、阪神・淡路大震災ではばらばらであったボランティアも組織だった活動を行うことが容易になってきた。同時に、誤った情報や古い情報がブログ等を通じて広まり、場違いな救援物資が送られてきたという話も少なくない。
 他にも、あの頃と何が変わったのかを考えてみる。そういえば携帯電話も無かった。そうすると、かつて避難所をはじめあちらこちらに張り出されていた安否確認の紙は、もうこれからの災害にはみられないのだろうか。
 三年前に発生した新潟県中越沖地震。刈羽村のとある障害者福祉作業所にヒアリングに行って、知的障害者が一般の避難所で暮らす困難を聞いた。阪神・淡路大震災ではどうだったのだろうかと思って、「人と防災未来センター」に所蔵されている精神障害者の被災体験記を改めて手にとって読んだ。だが、少なくとも手に取った資料からは、そのような記述はあまり見られなかった。当時は障害者自立支援法もなく、施設入所が一般的で、地域社会の中で暮らすことのできた知的障害者は必ずしも多くなかったのだ。
 経済的な問題について考えてみる。阪神・淡路大震災で壊滅的な被害を受けた長田のケミカルシューズ産業や、荷役を大きく減らした神戸港は、海外とのグローバルな競争に曝された結果だということもよく知られている。だが、今日のグローバル化は当時とは比べものにならないほど徹底されている。インターネットの普及は、個人でも海外との取引を可能にした。中越沖地震で被災した小千谷市や旧山古志村では、ニシキゴイの養殖が伝統産業の一つとして栄えていたが、彼らの多くは英語のウェブサイトを持ち、ネットを通じた通信販売や買い付けツアーの募集を行っている。海外の需要は生産者の地元の震災によっても減ることはない。グローバル化はその意味では震災復興にとってプラスの要素もある。
 だが、先日ある統計を見てグローバル化の持つ本質について深く考えさせられた。経済産業省が昨年実施した全国の製造業者を対象としたアンケートで、部品・原材料について「多くが代替できない」「一部が代替できない」と答えた企業の割合は実に75.7%に及ぶ。さらに全体の30.3%が、その割合が「増加した」と答え、「減少した」の11.5%を大きく上回っている。グローバル化の中で企業が生き残るために、自社独自の製品の供給にそれぞれが特化し、価格競争に陥ることを巧みに回避してきた結果がこのような形で現れている。先の中越沖地震では自動車部品の一つであるピストンリングの供給が止まったことで日本中の自動車企業の生産がストップした。こうしたことは、今や経済のありとあらゆる分野で発生する危険性があり、そのリスクはますます高まっているのかも知れない。
 あれこれ考えているうちに、インターネット談義の主たちは笑いながら大阪駅で降りた。こんな日常の尊さだけは、きっといつの時代でも変わらないのだろう。まもなく15年目を迎える被災地へ向かう電車に揺られながら、そう思った。


永松伸吾(ながまつ・しんご)氏プロフィール
中央大学法学部政治学科卒業。大阪大学大学院国際公共政策研究科比較公共政策専攻・博士後期課程退学。同研究科助手。この間財務省よりAsian Disaster Preparedness Center客員研究員としてバンコクに派遣。阪神・淡路大震災記念人と防災未来センター専任研究員を経て、独立行政法人防災科学技術研究所特別研究員。09年4月より現職。地域安全学会奨励賞(2003年)、日本計画行政学会奨励賞(2008年)、『減災政策論入門』(弘文堂)にて日本公共政策学会著作賞(2009年)を受賞。国際公共政策博士。
 

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