リーダーシップをとるには、フォロワーへの思いやりがなぜ必要なのか
   ― 配慮の再検討 Consideration Reconsidered ―

神戸大学大学院経営学研究科
  教授 金 井 壽 宏

はじめに
 長年のリーダーシップの研究で、配慮や人間指向の行動は、仕事の枠組みをつくったりする課題(仕事)関連の行動と並んで、最も重要なリーダーシップ行動として扱われてき――これをリーダーシップ論におけるふたつの大きな軸という意味で、二大次元と呼ぼう。
上に立つものには、部下やフォロワーに対して、配慮や思いやりが必要だと実践家の口からも、よくそう言われてきた。
 一見どんなにきびしそうに見えるリーダーでも、皆がついてきている場合には、思わぬところで、心配りや愛嬌があったりする。それなしに、きびしい指示ばかりなら、なかなか下はついてこない。力づくだけではひとは動かない。浪花節もいるわけだ。
 人間は、機械ではない。仕事の場に、まるごとの人間として、期待も感情も(ときには悩みも)持ち込む。それに耳を傾けることは、職場の潤滑剤とも言われるが、思いやりや配慮というと、べとべとしたり、相手にウェットな感じになると、浪花節的だ。
 しかし、配慮には、実は浪花節の世界の人間模様という以上の微妙な効果がある。われわれが神戸大学を中心におこなった三つの実証研究にもふれながら、その微妙な効果について試論するのがこの小論のねらいである。「配慮を再検討」あるいは「配慮に配慮しなおそう」(Consideration Reconsidered)をテーマにしようというわけだ。

いくつかの研究例にみるリーダーシップ行動の二大次元
 人間関係指向の行動は、呼び方こそ様々だけれども、多くの研究で共通するリーダー行動の1次元で、通常は、課題(仕事)指向のリーダー行動と対比される。いくつかの研究例をみよう。
 第1に、ハーバードのR.ベールズは、あらかじめリーダーを指定していない集団討議の過程を詳細に観察して、ふたとおりのタイプのリーダーが自然に生じるをことを見出した。一方は、課題リーダー(task leader)と呼ばれ、他方は、社会情緒的リーダ(socio-emotional leader)と命名された。
 見知らぬ人びとから成る集団に課題を与えて、議論してもらうと、必ずのように「なんでこんなことを議論しないといけないのか」とか怒るひとが出てくる。そのときに、「まあ、そうおっしゃらずに、ここで出会ったのもなにかの縁ですから、楽しくやりましょう」とか言って、場をなごやかにしてくれるひとがいたら、社会情緒的リーダーであり、そのひとこそ人間が集団の場に持ち込む感情に目配りできるひとである。
 このようなひとがいると、確かに雰囲気は和むが、肝心の議論は進まない。そこで、別のひとが「まず、自己紹介をしながら、賛成か反対か、そしてその理由を順に述べましょう」、「時間の割り振りをきめませんか」、「自己紹介の内容に応じて、分業しましょう」とか言って、課題の達成にむけて貢献するようになる。これが、前者の課題リーダーにあたる。
 第2に、初期のミシガン大学では、高業績集団と低業績集団のリーダーの行動を比較研究した。その結果は、表1に要約するとおりである。業績をあげている部門のリーダーは、基本的には、がみがみうるさくなく、おおらかなのに対し、ダメな部門のリーダーは、仕事中心で監督方法が細かい。ここでは、前者が、人間として従業員を大切にする行動、後者が課題関連、仕事中心の行動に主として従事していることに注意されたい。
 第3に、オハイオ州立大学の研究では、課題(仕事)関連の行動と、人間関係にかかわる行動は、それぞれリーダーによる「構造づくり(initiating structure)」と「配慮(consideration)」と名づけられた。それぞれの次元を測定するための、具体的な質問項目の見本は、次頁の表2に示すとおりである。
 ミシガン大学とオハイオ州立大学は、リーダーシップ研究の双璧ではあるが、後者においては、このふたつの次元の行動が独立であるとみなされた。したがって、構造づくりも配慮もともに高度におこなうことができると考えられている――つまり、ベールズの研究やミシガン研究のように、課題指向のひとと人間指向のひとが別人とは考えられていない――点に注意が必要である。とはいえ、この三つの研究例を見ても、リーダーシップ行動の二大次元は共通である。
 さらに、それ以後の多くの研究でも、同じふたつの次元が抽出されてきた。たとえば、日本の三隅二不二教授による有名なPM理論でも、また、実務の世界でもよく使われたブレーク=ムートンのマナジリアル・グリッドという枠組みでも、同じ次元が見出された。 
最近は、ルーチンを安定的にこなすよりも、荒削りでも変革をうまく導くリーダーシップへの関心が高まっており、旧態のままの、「課題(仕事)」と「人間」という言葉は、対比のラベルとしては、古くなって別の言葉が用いられるようになった。
 たとえば、ハーバード大学のJ.コッターは、「ビジョン(アジェンダ)」と「ネットワークづくり」というリーダーシップ行動のふたつの軸を強調する──同様に、IQにかかわる「(事業への)責任(responsibility)」とEQにかかわる「(事業にまつわる)関係(relationship)」というふたつのリーダーの役割を併置する。これを見ると、二大次元は言葉や表現型を変えつつも、基本の軸としては、今も生きていると言ってよさそうだ。

配慮の効果
 なぜどちらの次元も高度におこなっているリーダーがいいのか。そのロジックをさぐってみよう。
 まず、自分自身が部下としてだれかにお仕えしているときのことを思い起こしてみよう。上に立つひとが、自分の個人的な相談にのってくれたりしたら、どういう気がするだろう。おせっかいだと思われるような場面を除けば、配慮などの人間指向のリーダー行動は部下にとって、うれしいことのはずだ。事実、配慮は、部下の満足と通常は、正の相関を示す。配慮そのものが部下の喜んでくれる報酬として作用する場面が多い。
 つぎに、仕事のことばかりにうるさいリーダーのことを考えてみよう。仕事には、計画を立てるという側面と、部下に圧力をかけるという面がある。したがって、構造づくりなどの課題指向のリーダー行動は、とりわけ圧力は、必ずしも部下に受け容れられるとは限らない。仕事の枠組みを提供してくれているというよりも、文句ばかり言われていると部下が思えば、課題関連の行動は、部下にとって不当な圧力と思われるかもしれない。
 しかし、同時に配慮も高度におこなってくれているリーダーならば、課題にまつわる行動が受容されやすくなる。それは、リーダーが自分たちのことを思ってくれてはっぱをかけていると見なされるからだ。ただの「仕事の鬼」ではない姿がそこにはある。
 逆に、人間関係ばかりに気をつかって、仕事の指示がはっきりしない上司のもとでは、配慮には満足できても、肝心の業績がおろそかになる。業績が低迷すれば、達成や、達成の承認、それ以外のより有形な報酬にもマイナスの影響があるので、結果的には、集団の雰囲気も部下の満足も、やがてダメージを受けるようになる。
 つまり、優秀でも仕事一点ばりだとだめだし、配慮があっても浪花節だけでもさえないというわけだ。今風にいうと、正しい絵を描き適切な指示を出すIQだけでなく、部下の感情面にも目配りするEQが大事だと言うわけだ。
 課題関連のハードな行動も、人間関係のソフトな行動もともに高度におこなっているリーダーがいいという結論は、IQもEQもともに大事だという最近の議論とも符合する。
 実際に、仕事面では正しい判断ができるけれども、人間関係の機微がうまく扱えないために、うまくリーダーシップをとれないひとたちのために、感受性訓練やTグループ等々の研修プログラムがずいぶんと長生きしている。

浪花節的行動は浪花節的なだけではない
――三つの調査
 リーダーシップ論の研究者としてわたしは、これまで多数の調査をおこなってきたが、「思いやりは、ただ単に浪花節ではない」、一見人間関係にまつわる浪花節的行動のなかに、仕事の機微の伝達がひそんでいるのではないかと示唆するデータに出会ってきた。この小論は、専門の論文ではないので、データ分析の詳細は示さないが、このことに気付くきっかけとなった三つの調査を紹介しよう。

(1)電機メーカーの中央研究所における研究開発チームの調査
 ある研究所で開発をおこなっている49の研究グループの調査をおこなった際に、われわれは、因果ギャップと呼ぶ変数の測定をおこなった。研究開発活動は、工場などのルーチン作業と比べると不確実性の高い世界なので、各グループごとに、また個人ごとに、それぞれにどのようにすれば研究がうまくいくのかについて、考えがあるはずだ。われわれは、500名近い研究開発スタッフへの大規模な質問票調査に先立って、どのような要因が研究を促進したり、その妨げとなったりするのかを詳細な面接調査で聞き出した。たとえば、近くに開発のスターと呼ばれるひとがいるという要因は、いったいプラスになるのかどうか。面接調査により、開発を左右する17の要因――スター人物の存在のほか、工場のひととの接触、営業のひととの接触、論文につながる研究テーマ等々――を識別できたが、わかったことは、それぞれの要因が促進要因になるのか阻害要因となるのかの認識は、グループによって、また個人によって異なることがわかった。たとえば、近くにスターのような科学者がいるのは、個人プレーで基盤技術をやっているところではいいことだが、事業部の製作所のトラブル・シューティングに近いやっつけ仕事をグループでやる段にはマイナス要因だったりする。また、同じ要因でも、会社の成果に対してなのか、研究者個人の成長という目的に対してなのかによって、促進要因になるのかそれとも阻害要因になるのかが違ってくる。たとえば、手本となるようなスターがいるのは、会社にとっても育ちたい若手にとってもプラスかもしれないが、論文につながるようなテーマを選択することは、個人にはプラスだが、会社の成果には必ずしもプラスではないと認識されているかもしれない。
 因果ギャップとは、これら17個の要因について、研究開発グループのメンバーの間で、それが開発に役立つのかどうかについて、意見がずれている程度のことを言う。この因果ギャップが少ないほど、どうやればいい成果が生まれるのかという(頭の中の)因果の地図がよりすっきりしていることになる。
 われわれがこの調査研究において最も注目している発見は、この因果ギャップを低減させるのに、研究チームのリーダーによる構造づくりよりも、配慮のほうがはるかに効果が大きかったことである。直接的かつあからさまに課題関連のリーダー行動ではなく、むしろ一見人間関係指向と思われる配慮というリーダー行動が、この因果ギャップの低減に貢献していたのであった。

(2)教育産業の会社における新入社員の適応に関する調査
 学生時代から社会人へという節目において、新入社員がどのようにして新しい環境に適応していくかというまったく別の研究テーマでおこなったわれわれの調査がある。大卒一括採用で、ある会社に同期入社した全員から、適応に役立つ情報源が重視されている度合い(および、それらの情報源へのアクセス可能性)が測定された。あわせて、新人の情報行動の決定要因として、仕事の性質、職場の特性などとならんで、上司のリーダーシップも質問票調査で測定された。悉皆質問票調査に先立って、この会社の新人にとって、なにがいったい入社直後の適応に役立つ情報源となっているのかについて、面接調査がなされた。その結果、上司との接触、日報へのコメント、新入社員研修、職場行事など20個の具体的情報源が確定された。
 ここでも、興味深いことに、構造づくりという直接的に課題関連のリーダー行動よりも、むしろ通常は浪花節的行動と思われがちの配慮が、情報源に対する新人の積極的な働きかけを増していた。新人の直属上司がよく配慮してくれるほど、新人は、適応への機会を大事にしていたのである。配慮を示す上司は、情報源としても大切に思われるし、新人がそのような上司に接する機会も、そうでない上司よりも多かったのである。

(3)流通業の組織(生活協同組合)における理念の浸透にかかわる調査
 創業以来強い理念をもった組織体で、われわれは数年におよぶ詳細なフィールド調査を繰り返しおこなってきた。
 理念の理解のされ方がどのようになっているのか、職場ごとの理念の浸透レベルがどのように異なっているのか、それはリーダーシップとどのようにかかわっているのか、また、現実の競争と理念の間に見られる矛盾に対してどのような対応がなされているか、等々といった実際的にも理論的にも大きな関心のある問題を追及してきた。
 理念の浸透とリーダーシップの焦点をあわせた分析(香川大学の松岡久美氏によって神戸大学に提出された博士論文)によれば、ここでもまた、理念の浸透にはるかに強く関与していたのは、構造づくりではなく、配慮であったことは注意を引く。
 この組織体の理念は、理念重視の他の会社と同様に、内容的にはきわめて理想論的で、部分的には抽象度の高いものであった。たとえば、創業来の「愛と協同」という精神は、どのようにすればそれを実施していることになるのか、解釈の難しい理念であるし、現実には、他の流通企業とわれわれの調査対象のこの組織体(生協組織)とは熾烈な競争を繰り返しているので、しばしば理想論的な理念からは矛盾している現実に若手が直面することがある。
 そのときに、たとえば、店長などの現場の指揮官が、構造づくりのような直接的に仕事関連の行動をとるよりも、配慮を示すことが、理念の浸透に貢献していたのである。
 もちろん、たとえばキーエンスのように効率や収益性そのものを理念にしている会社では、構造づくりが理念の浸透に貢献するかもしれない。配慮が理念の浸透にこの生協では貢献していたのは、理念の内容と無縁ではないだろう。また、生協運動そのものの基本価値のなかに、他の人びとへの思いやりや配慮(caring for others)を大事にする姿勢の重要性が謳われている。
 このような特殊事情はあるものの、研究開発チームの場合、新人の適応の場合と併せて、理念の浸透でも、配慮が重要な鍵を握っていたのである。

微妙な情報フィードバックや意味生成の効果
 これら三つの調査が示唆することは、構造づくりを課題関連の行動、配慮をもっぱら人間関係の行動と割り切って二分法で考えることの誤りである。配慮を通じて、仕事にまつわるもっとも重要で微妙な情報が流れている可能性が高い。配慮のなかに、課題関連の効果も織り込まれているのである。
 三つの調査はそれぞれに興味ある関連した効果の存在を示唆する。(1)会社の研究所で研究活動のあり方をめぐって考えをすっきりさせるためには、(2)ただがんばるというだけでなく、新人が新しい世界になじんでいくには、(3)また、理念のような一見曖昧なものの深い意味を理解するには、配慮がよりパワフルな効果をもつ。その効果は、通常のモティベーション論が想定しているような瞬発力によるがんばりだけではないように思える。配慮は、働き方、その組織のなかでの生き方に関する意味づけや納得を通じて、持続力をもってよりよい働き方、生き方を求め続けるための栄養補給源としても役立っているとしたらどうだろう。そう考えると、配慮と満足の同一時点の相関に注目するだけでなく、ひょっとしたら、リーダーの配慮が、フォロワーのよりよい働き方や生き方の探求に貢献しているという意味での、より長い目で見た高次のパフォーマンス(創造性やイノベーションを実現する粘り強さ)とどのようにダイナミックに関連しているか、今後は探るべきかもしれない。

Consideration Reconsidered
 ひるがえって二大次元をすなおに見てみよう。リーダーが行動面で正しい判断をし、正しい目標を説き、正しい分業を図ったとしても、部下がそれに従う気がなかったら、それらの行動は課題関連の行動であるにもかかわらず、課題はなにも解決しない。リーダーシップの最大のエッセンスを、「フォロワーがついてくること」と捉えるなら、二大次元のうち人間関係の行動と思われてきた配慮がリーダーシップの条件としては、いっそう重要性を増すべきかもしれない。ビジョン設定とネットワーク構築が、変革型のリーダーシップに必要だというときも、いいビジョンがあっても絵に描いた餅に終われば、話にならない。それに皆がついてきてくれることがより重要だ。そう考えると、どちらも大事だけれども、どちらがよりエッセンシャルかというと、絵を描くこと以上に、ひとを巻き込むことがリーダーシップにとって重要なのだ。
 少しくどいようだが、リーダーシップをとろうとするひとは、「フォロワーがついてこないと、どんなにいい絵を描いても、そこにリーダーシップは存在しない」という言葉の意味を真剣に受け止めてほしい。そして、描くべき絵が微妙で革新的なときには、配慮のなかにこそほかならぬ絵の萌芽が潜む。絵を描く苗床にもなっているのがリーダーによる配慮のある場だ。
 ひとを思いやることは、ただウェットな浪花節的な行動ではなく、微妙なやりとりがフォロワーとできるからこそ、よりわくわくする夢のあるいい絵が描けるのである。フォロワーもその絵ならついていこうという気になってくれるのである。わたしは、浪花節的行動はただ浪花節的ではないという意味を、ここ数年ずっと考え続けてきた。この小論で十分にうまくそれが説明できたかどうかふがいない。しかし、この小論をきっかけにつぎのように感じられ始める読者がおられたら、望外の喜びだ。
 部下を思いやるとき、恋人や配偶者を思いやるとき、子どもを思いやるとき、上司として、パートナーとして、親として、あなたは、ただ人間関係を円滑にしているだけではなく、よりよい絵を描くのを彼らといっしょにおこなっているのだ――最も深い配慮はしばしば配慮される側にきびしいことさえある。配慮がある場でこそ、最も微妙な情報フィードバックと真剣な意味の探求がなされる。人間関係の軸と言われた思いやりや配慮の意味を、そんな風に再考していただけたとしたら、うれしい。
 明日、さっそくどのような思いやりをだれに対してしてみますか。だれにしてほしいですか。

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