企業の戦略的危機管理
−雪印食品の「偽装牛肉事件」の危機広報の失敗からの教訓−
日本大学大学院国際関係研究科教授
大 泉 光 一
企業の危機管理(Corporate Crisis Management)という言葉は、わが国でも一般にすっかり定着してきた。しかし、近年、雪印乳業会社の食中毒事件およびその子会社の雪印食品による狂牛病対策悪用事件、三菱自工やブリジストン社の米国子会社の欠陥製品によるリコール問題、海外における派遣幹部社員誘拐事件など、改めて日本企業の危機管理体制が問われるような事件が多発している。
そこで本稿では、こうした危機に巻き込まれないための事前対応および万一、巻き込まれても被害を最小限に食い止めるための企業危機管理の基本的戦略について雪印食品の「偽装牛肉事件」の危機広報の失敗の事例を通して検討してみる。
企業危機管理とは
わが国企業のほとんどの経営者は積極思考を崇拝し、失敗した時の対応については意識的に考えていないことが多い。だが経営が順調にいっているからこそ、逆境に備えることが必要となるのである。換言すれば、不測(緊急)事態が発生してから対策を講じるということは、どんな有能な戦略家にとっても不可能であり、すべてがその場しのぎの対処策になってしまうのである。
危機管理とは、平時において最悪の事態を想定し危機が発生しないように予知・予防する事前対応(計画・立案・訓練)と、万一、危機が発生した場合に迅速で果断な決断力と強い実行力で対処し、被害を最小限に食い止めることである。どんな原因であれ、いったん企業や社員およびその家族に被害が生じると、企業イメージの低下や経営に大きなダメージを与えることになる。したがって、これらの危機に対して起きてから対処するのではなく、積極的な事前活動を通じて、未然に危機を防ぐ手段を講じる必要がある。
危機というものは、企業にとって避けられないものである。組織はその規模や成長度合いによって危機と直面することが運命付けられているといえる。企業は、自らの戦略を明確に打ち出そうとする時、そうした事態に対する準備を整えておくべきである。しかし、過去において日本企業が巻き込まれた様々な事件や事故を見ると、危機に対して何らかの事前準備を行っていた企業はほんのわずかであった。問題は、事故の規模や複雑さから起こることが多く、“危機のポートフォリオ”を想起させるということにたえず悩まされることになる。
危機が企業を襲う可能性があることを否定する経営者がいる危機的傾向にある企業は、絶望的な運命を辿ることになる。
ただ、ここで認識しなければならないことは、危機がいつ発生するかを予想するのは非常に難しいということである。組織は、予想できない危機に対応できるように柔軟でなければならない。こうしたアプローチは、戦略経営の一部である。
企業危機管理の基本的心得
企業危機管理の基本的な心得として、
(1)事前活動(予防)を最高の危機管理と認識することである。
これは事件・事故(不測事態)を発生させないように、事前活動を行うことが肝要である。具体的には、@存在するリスクを把握し、分析する、A情報収集および早期警戒、B迅速で効果的な脅威評価、C意思決定体制の整備、D簡単に利用できる手続きの整備、E社内管理体制の定期的な検査、F専門家による支援などである。
(2)常に最悪のことを想定し、その最悪が起こらないように防止し、回避することである。
最悪の事態に備えるということは、組織的または個人的偏見などの理由から難しい場合が多い。とくに緊急事態の可能性がほとんどないような場合、計画立案者や経営トップはそれをあまりにも簡単に無視してしまう傾向がある。事件や事故が壊滅的な結果を招くものであっても、発生の可能性が低いということでないがしろにする。最悪の事態について考えることには、従来の認識を超えた客観性と前向きの気持ちが必要となる。
(3)悲観的に準備し、楽観的に実施することである。
大半の企業は楽観的に準備し、悲観的になるケースが多いのである
(4)平時において危機管理対応の責任者を決めておき、万一、危機が発生した場合、危機管理チームを招集し迅速に対応することである。
社内に危機管理を担当する専門部署を設置して専従担当役員を置いている企業は一部の大企業を除いてまだまだ少ないのが現状である。したがって、平時において危機管理対応の責任者を決定することは困難な状況にある。しかしながら、危機管理チームのメンバーは他の仕事と兼務しても仕方がないにしても、少なくとも指揮・命令権を持った副社長又は専務取締役クラスの担当役員を「危機管理担当責任者」として決めておくべきである。
(5)悪い本当の情報こそ最優先で報告させるようにすることである。
経営トップが「マイナス情報」を知らされないような企業は、いずれ滅びることになる。「マイナス情報」に敏感であるからこそ、企業のトップとして経営にあたることができるはずである。
現場で業務に携わっている社員が「企業防衛意識」を持つかどうかは、経営者の姿勢にかかっている。「マイナス情報」が発生したら、直ちに経営トップに伝えないと左遷される。積極的に報告すれば経営トップは喜ぶような社内環境が確立していれば、情報はたちどころに経営トップに上がっていくのである。
企業の危機事態に対処する基本姿勢
企業にとって発生しうる諸問題を事前に予測し、防衛策を講じ、事件・事故や災害に対処しうる能力を身に付けることが至上命題となる。
企業活動における危機とは、緊急事態(重大で不測の局地的な事件や事故であって、狭い限定的な性格を持つもの)とは異なるレベルの脅威であり、何の予告もなしに突然発生し、正常な企業の経営に根本的な影響や変化を与える状況のことである。したがって、企業は、一つの事故や一連の事件の持つ潜在的影響やその波及度合を推測し、それによって被る損害の程度を評価することが大切である。
危機とは通常、ゆっくりと発展して行くものである。発展段階の初期に危機の前兆を捉えることができれば、それだけ問題を解決する可能性が高くなる。不幸にして前兆を見逃したり、或いは無視したり、さらに発見しようとする努力を怠れば、企業活動に影響が出始めるまで、危機の発展過程を捉えることは不可能となる。
企業の組織内で発生しうる危機に備える第一のステップは、心の準備である。まず前兆を発見することから始めなければならない。次に、もしもの時はどうなるかということを想定すべきである。危機が表面化し、組織にダメージが与えられてから初めて危機管理を始めるというケースが大半である。様々な危機から企業組織を守るキーワードは平常である。
危機に備える第2のステップは、企業が通常の業務を継続する一方で、どのような危機であっても、それに対応するチーム編成を考えることである。チームは最小規模で、危機にどう対応すべきかの決定が即座にできる権限と能力を併せ持つ必要がある。このチームは企業内部で不可欠な部門でなければならない。
ところで、企業の危機事態に対処する基本姿勢は、@危機の予知・予防、A行動の規範、B対応手段、C危機情報の取扱い、D危機対応組織、E対外広報の六つである。
危機の予知・予防の基本は、まず、経営環境の変化に応じ危機事態を予知・予測し、その発生予防施策を普段の経営活動に反映させる不断の努力をする。次に、危機事態をできる限り早期に予知・予測し、事態発展に備えた体制の整備・強化に取り組むことである。
行動の規範は、まず、人命の確保を対策の第一とする。次に、会社に対する有形・無形の損失も公正な手段により最小化する。そして第三に、危機事態処理の過程で、組織の結束力を維持・向上させる。対応手段の基本で、事態処理に当たっては、いかなる状況においても、違法または公序良俗に反する手段を用いない。
危機情報の取扱いの基本は、まず、危機事態に関連する情報の収集・伝達は、客観的事実を基本として判断・行動する。次に、危機事態への対応は、トップマネジメントの所管事項である。したがって、危機事態に関連する情報は、可及的速やかにトップマネジメントに伝達することである。
危機対応組織の基本は、まず、危機事態が発生した場合、関連部署は、予め定められた役割に応じ速やかに初動体制をとり、他の業務に先立ち最優先で事態処理に当たる。次に、対策に当たる組織の各機関の責任者を明確にし、組織の一体性を保持して機動的に事態処理に当たることである。
対外広報の基本は、まず、関係諸官庁、マスコミ機関などへの対外広報に当たっては、それぞれ対応窓口を明確にし、統一された見解のもとに誠実な対応を行うことである。
危機広報戦略の基本的心得
危機広報とは、企業の不測事態に対し、広報活動を通して企業が状況によりコントロールされるのではなく、状況をコントロールできるようにすることである。つまり、危機発生時には企業がマスコミに対して主導権を握り、メッセージをコントロールできるようにすることである。そのためには、@ポジティブで開かれた態度で危機に対応することである。A危機に対して十分な事前準備を行うことである。B迅速に対応し、緊急事態を静めること、などが必要である。この危機広報を的確に行うことで、危機による企業イメージの低下を食い止めることができるのである。
一方で完璧な危機管理、危機広報体制は経営トップが良識に欠けると、事実の隠ぺいに利用されかねない両刃の剣でもある。
ところで、企業に危機事態が発生した場合、マスコミ機関に対する基本姿勢は次の通りである。
@
取材に対し、会社の方針に反した言動・対応は行わない。
A
取材に関係するマスコミ機関各社に対しては、公正な対応をする。
B
取材に対し、誠意を持って、迅速に対応する。とくに記事の締切時間に配慮した情報提供に留意する。
C
記者会見等に当たっては、文書によるコメントを必ず準備する。
D
危機事態においても、会社の経営方針を伝えるという積極的な広報姿勢を堅持して、報道機関に応接する。
E
危機発生時にはできるだけ早く、できるだけ多く事実を伝える。
F
失敗は自主的に認めて謝罪し、二度と同じような事件または事故を起こさないことを約束する。つまり、非常事態の「再発を防止する」ことを約束することである。ある危機の発生後の段階は多くの点で別の危機発生前の段階である。企業の危機対応に関し、何が正しく、何が誤りだったかを慎重かつ公正に分析することが重要である。
一般的に危機広報というと、危機発生時におけるマスコミ対応ばかりに目を奪われがちであるが、危機発生時において的確なコミュニケーションを行うためには、危機発生前に十分な準備を行うことが必要であり、危機終了後には危機発生時における対応を学習して教訓を得ることが必要である。このように危機広報は大きく3つの段階に分けて考えることができるのである。
ところで、危機広報には、以下に記す原則があるが、これらを守らなかった雪印食品の「偽装牛肉事件」の事例を通して教訓を引き出してみる。
1.決して嘘をつかないこと。
《雪印食品の関西ミートセンターで輸入肉を国内産と偽装した事実が最初に発覚したのが2002年1月23日朝。これを受けて、午前11時半に社長が東京都内の本社ビルで記者会見をし、「偽装は関西ミートセンター長の独断」と語り、本社の関与を否定した。》
結果的に内容が嘘になってしまった。後日の社内調査で、実は本社や関東ミートセンターでも偽装工作があったと判明した。意図的かどうかは別にして、会見内容が嘘となってしまうと、一気に信頼を失うのである。だから危機発生時は、いかに早く、正しい情報を収集できるかがカギを握る。
雪印乳業の食中毒事件の時にも、肝心のクレーム情報がすぐに社長に伝えられなかったことが問題になった。雪印食品の場合も、初日に他の偽装工作の情報を掌握できなかったのが致命的であった。「雪印乳業の事件後、再発防止に務めなかったのか」と、人々の目に、雪印食品は、雪印乳業の教訓を受け、小さな品質クレームも社長に連絡する体制を取っていた。しかし「こんな事態は想定してなかった」と後日語っている。
危機発生後の企業イメージを左右するのは、その時のマスコミ対応つまり「危機広報」である。雪印食品の偽装牛肉事件のような記者会見で大切なのは、謝罪や原因究明だけでなく、再発防止策や責任所在にも言及することである。企業が本当に反省している姿勢を見せることである。
2.記者会見は1人のスポークスマンで行うこと。
《2002年1月23日〜28日の間、関西ミートセンターでは関西統括支店の課長が平日は2回、日曜日も1回、毎日会見した。一方、本社側では1月28日に専務が会見しただけである。社長が次に記者会見したのは、自らの辞任を表明した1月29日であった。》
まずいやり方である。この時期はマスコミ各社が連日のように「水増し請求」や「北海道産牛肉の熊本産偽装」などの新疑惑を報道していた。関西ミートセンターの会見は、それを認めて謝罪する、という悪循環に陥っていた。
危機広報の窓口は、本社広報室1本に絞り、社長をスポークスマンとして前面に立てるべきであった。社長が隠れていると、責任回避のイメージを周囲に与えるのである。また、複数の人がスポークスマンを務めると、混乱や誤解が生じる結果となる。
3.経営トップが参画していることを示すこと。
《雪印食品の社長は1月25日、農水省で報道陣に囲まれたが、自らの進退問題に質問が及ぶと約3分で話を切り上げ、走り去ったといわれる。また1月28日には専務が本社で記者会見したが、社長は現れなかった。》
これでは社長が先頭に立って真相解明に走っている、という印象は消費者には届かず本来なら、社長自ら現地の大阪に出向き、陣頭指揮を取るべきであった。経営のトップが真相解明に積極的な姿勢を印象付けることができたはずである。
4.危機発生時にはできるだけ早く、できるだけ多く事実を伝えること。
《社長が再び記者会見に出席したのは1月29日。そこで調査委員会が調査結果を報告し、本社ミート営業調達部や関東ミートセンターでも偽装工作していたことが判明した。》
調査委員会の結果発表に6日間というのは長すぎた。せめて中間報告を出すべきであった。特に「関東ミートセンターの独断だった」と語った過去の会見内容が嘘だったので、その部分の訂正だけでももっと早くできなかったのであろうか。
1月23日の記者会見で答える立場にいた本社の部長自身が、別の偽装工作に関わっていたので致命的であった。
5.メッセージを単純にし、同情を集められるようにする。
《2月4日、雪印食品がパート、アルバイト従業員など1,000人の解雇を決定した。》
最悪の判断である。企業イメージを最も失墜させたのはこれである。危機発生時は、大衆の同情を集めやすい、わかり易いメッセージを打ち出すことが大切である。しかし、雪印食品の1,000人解雇の判断は、会社に全責任があるにもかかわらず、経営の建て直しを優先する余り、弱者を切り捨てる企業、というイメージを決定付けた。この時点で、経営陣は冷静な判断を下せなくなっていたのである。
6.マスコミを敵に回すな
《2月5日、雪印乳業が再建計画を発表。これを受けて、マスコミ各社が雪印食品本社の玄関前に集まったが、広報室はアポイントのない取材は受けない。電話でアポを取ってと答えた。記者たちは本社前から目の前の建物に電話を入れる結果となった。》
危機広報のポイントの一つに取材依頼があったら電話ではなく、直接面談して受けるがある。電話では誤解が生じやすく、間違った情報でも報道されれば一人歩きするからである。雪印食品はこの逆をやってしまったのである。すでに「危機の繭状態」に入っていた。「繭状態」とは、準備不足からマスコミへの恐怖や混乱が高まり、繭の中に閉じこもったように孤立した状態で決定を下すので、外部の人々の理解しやすい広報ができなくなる状態である。「繭状態」の企業は情報開示を拒否しがちで、最後は一般大衆の時期に添うことができなくなるのである。
結局、雪印食品は「再建断念」「解散やむなし」の方針を明らかにしたが、もしも危機広報が上手にできていれば、回復不可能なほどに企業イメージが失墜することもなかったし、解散しなくて済んだと思われる。
1993年6月、米国でペプシコーラから注射針が発見された事件があった。この時、ぺプシ側は最高責任者がスポークスマンを務め、素早く情報を開示し、消費者向けに無料の24時間電話相談窓口を開設した。その結果、注射針事件の1週間後、ぺプシは事件前より売上を伸ばしたのである。
もちろん部外者の犯行だったぺプシと雪印食品のケースとは、比べようもない。それでも、企業は広報などの対応いかんで危機をプラスに転じることもできるのである。
いずれにせよ、危機広報に一番大切なのは、ほとんどの会社が「万一の危機に備え金をかけるのは・・・・」と躊躇する。しかし、危機広報のカギを握るのは、危機発生から数日間の初動態勢である。つまり、発生してからでは遅いのである。発生前にどの程度予知、予測し、事態に備えた態勢を整備するかである。
例えば、広報室をPR担当と危機広報担当に分け、後者には周到なガイドラインとマニュアルを準備する。それに従い模擬会見を開いて訓練する。欧米では、社長や重役クラスが模擬会見で受け答えの練習をするのは当たり前のことである。さらに、危機管理委員会を常設し、一元的な情報管理ができる体制を作ることも有効である。