震災を契機に根付いた
NPО・ボランティア活動の現状


NPO法人 阪神高齢者・障害者支援ネットワーク 理事長
黒 田 裕 子


はじめに
 1995年1月17日未明に発生した阪神・淡路大震災から、満10年を迎えた。「あの日」「あの時」のことが今でもしっかり目に映っている。
 あの時、全国より多くの皆様が駆けつけて下さり、又ご支援をいただいた。
その時を「ボランティア元年」と言われ、ボランティア文化が誕生した。
 「震災は忘れた頃にやって来る」といわれたが、「震災は忘れない間にやって来る」が 現状のはやり言葉となってきた。そんな中、全世界で「災害」が起きている。そして、即行動に移行しているのがボランティアである。実に頼もしく、全身全霊で活動している。
 当団体は、震災当日より被災者の方々と共に、24時間体制でこの10年間活動を実践してきた。現場には実に多くの課題があり、生の声がある。生の声の一つひとつを大切にしっかりと受け止めてきた。
 「市民社会」のあり方等、多くのことを通じて成熟してきたボランティアたちは「地域社会」の中で活動するにあたって、それぞれに意味付けを行い、可能性を求めて歩んだ。ボランティアとしても、政策提言までもあげていけるような活動を展開し、力をつけてきた。常に「信念」と「責任」を持って歩んだこの10年の活動をここに報告する。

1 阪神高齢者・障害者支援ネットワークの概要
 「あの日」「あの時」に設立された当ネットワークは、「いのち」をキーワードにして、医師・看護師・社会福祉関係者が集まり、その日の夕方に設立されたボランティア団体である。公園の片隅に被災した高齢者が蹲っているのを発見し、このままではいのちの危険があると考え、これらの人々の「いのち」を救うために「ケア付き避難所」を開設した。開設と同時に、家族が連れてきたり、近所の人々と共にこられたりする方々を収容し、なんとか危機を逃れることができた。
 高齢者の1人が、「寒かった。もういのちはないと思った。何とか助かってよかったー」と涙を流しながら話されたことを、いまだに忘れることは出来ない。避難所で生活をされている大勢の高齢者は衰弱し、中には息を引き取られた方もいたようだ。
 このような緊迫した状況下で、神戸長田高齢者・障害者支援ネットワーク(現、阪神高齢者・障害者支援ネットワーク)は緊急二次避難所として、サルビアデイホームを拠点に高齢者や障害者の緊急支援を行ってきた。
 そんな中で、生活の場が仮設住宅へと移動した。緊急支援から継続的生活支援へとニーズが変化した。当ネットワークとしても、刻一刻と変化する被災地の状況に合わせた、新たな展開を行った。

2 ボランティアだから見える
 阪神・淡路大震災を契機として、ボランティアの存在は開花した。様々な活動を通じて、今ここでしなくてはいけない事が、自分たちで分析できるほどにボランティアは成熟した。
 枠組みの中におさまっていないボランティアの活動は、時間に関係なく相手と向き合う事が出来る為、ニーズに沿った解決ができる。
 高齢社会と言われている現状で、我々ボランティアはその人にとって「安全」「安心」「快適」な生活が出来て、今を生ききるための支援活動をしてきた。
 我々の団体が日々向き合っている高齢者の平均年齢は70.4歳である。この中には認知症の方、身体障害のある方と様々である。さらにこれらの人々が一人暮らしであったり、老老介護をしていたりである。特に一人暮らしの認知症の方においては、一番心配であり目を向けるところである。
 我々は、この人々の安全を図ることと、以前の生活に近づけることができないかと考え、仮設住宅から復興住宅に向けて実施した事にグループハウスがある。そこでの成果は一人の人としての生活を取り戻す事において大きな効果があったことである。
 そしてこの成果は、平成18年度にはNPO法人もコミュニティーの中で宅老所・グループハウス・グループホームを設立する事ができるという政策として実現する事となった。これは大きな成果である。
 グループハウスでは、どんなことを実践してきたかを述べてみる。
 認知症のおばあちゃんが、息子と2人で暮らしていた。母親はお便所に行く事もわからなくなり、どこでも構わず大便・小便をするようになった。時には、大便を壁につけることもあった。息子の母親への扱いはだんだん人間的ではなくなってきた。このままの状態では「何かが起きる」と察した我々は、母親と息子を切り離す事でお互いの心の穏やかさを取り戻せるのではと考え、発想したのがグループハウスである。
 2人で暮らしていた時の食事には、全て紙の器を使用していた。又、寝るときは、ダンボールの上にシーツ一枚だけ敷いて、その上でやすんでいた。虐待も始っていた。時々、顔に痣がついていることもあり、痛々しい状況が想像された。母親にはグループハウスに入所していただき、新たな生活が始った。瀬戸物の食器、ふかふかの布団、何よりもケアスタッフや多くの人々との交流、グループハウス内での役割をもった生活が、母親に笑顔を取り戻し、会話を復活させた。
 仮設住宅の中でグループハウスを展開している時は、認知症以外にアルコール依存症の方も同様に入居していた。アルコール病院から退院してきた方は、病院から出るなり、その足で酒屋さんに寄り、一杯呑んで自宅に帰るというケースが多くあった。こんな姿をみた時、なぜ、何のために入院していたのかと考え、同様に入居してはと考えた。日本ではアルコール依存症の方のための中間施設と言えるものがない。特に一人暮らしの場合は、意思が弱く退院しても帰宅後に話し相手もいなければ、淋しさに紛れ、すぐに手が届き友人になってくれるのがアルコールである。
 断酒会が長い歴史を持っているものの、このような中間施設には目を向けていない。
 グループハウスではこうした人々に対し、日常の生活が出来る為にと、男性の料理教室も設けることとした。食事もとらずに、アルコールが入っていると言う不健康から脱皮することの大切さを認識する事、いのちを考えて自己との向き合い方を推進した。その結果、グループハウス入居中は一滴の酒も口にはされなかった。健康的な生活は「体がシャンとしてきた。とても快適」という言葉になった。
 アルコール依存症、認知症、難病、身体障害の問題など、数え切れないほどの難問が目の前にぶら下がっている。
 人間に生まれた限り、いつの日であっても人間らしい、その人を尊重したケアのあり方を考えることが最も大切であると思っている。
 先に述べたように、仮設住宅から復興住宅においても実践してきたグループハウスの試みが政策に取上げられる事となった。「今、ここで」を考えながらケアを求め続けてきた我々にとって、NPОの力量・資質を考慮しなければならないこととして、自己の問題として深く考えさせられた。
 気づいたものが実践し、言語化しなければ変わっては行かないこと、現在の枠組みにとらわれることなく、日々の活動を前向きに展開することの重要性を改めて気づかされた。ボランティアであっても、NPОであっても、自らの問題として前向きに行動する事が大切であり、実践する事が重要となる。

3 行政に頼ることなく、行政との参画と協働の中での活動を展開
 これからの社会は、行政だけでの運営には無理があることを、この10年間の中で学ぶ事が出来た。又、市民も自分たちの財産は自分たちで守る、との意気込みがなければ今の世の中、生ききることは出来ない。これまでの社会の中では、あまりにも行政任せが多かったことも反省する。数年にわたる不景気な経済状況では無駄のない動き、無駄のないお金の使い方など、行政は市民と共に考えて政策を打ち出す事が大切である。また、市民も日頃感じていることを、その場で書きとめ、次の機会は言語化していくだけの力を養っていかなければならない。
 今、NGO・NPOにおいては、行政とタイアップしながら現状を改善すべく前進している。全てうまくいく訳ではないが、一回の衝突で回避するのでなく、継続的に議論を重ねていく事に意味がある。指定管理者制度においても、これまでのNGO・NPOの働きが認められた結果ではないかと考える。また、月に1回行政とNPOたちが協働会議を設けて議論ができるようになったのもこの10年の成果である。
 我々の団体は、対象と向き合う中で様々に見えてきた事を、市民の生活を基点に政策提言まで練り上げることをしてきた。例えば介護保険の改善にあたっては、様々な問題があり、この制度を使いやすいものにするための提言を行っている。

4 「しみん基金・こうべ」とは何か
 阪神・淡路大震災では、全世界から実に1,800億円の義援金が寄せられた。ボランティア団体にも、兵庫県と神戸市が設立した阪神・淡路大震災復興基金をはじめ民間からも災害バブルとさえ言われるようになるほどの多額の活動資金が投入された。
 しかし、震災3年目からは資金のパイプは細くなってきた。民間基金では大口の「阪神・淡路コミュニティ基金」も1999 年 3月で閉鎖されることが決まっていた。それでは、ボランティアの活動が先細りになるのは眼に見えていた。震災で育ったボランティア活動、まだまだ必要とされるボランティア活動を存続させるためにと「市民が、市民の手で、市民のために作る基金」を作ろうと活動仲間より声をかけられ、「しみん基金こうべ」を設立した。しみん基金こうべの構成メンバーは、民間・企業・学者・行政といった分野から成り、今問われている協働をも形づくる日本で初めて出来た団体である。
 21世紀は市民が主人公になる時代である。自発的、主体的な市民による地域連携型の組織が、責任を持って社会に参画し、自分たちの地域と暮らしを支え合う。私たちは次代に向けてそのような「市民社会」を確立したいと考えた。
 阪神・淡路大震災を契機として、市民一人ひとりのボランティア活動やNPO・NGOによる公益的な活動の意義と重要性が再認識され、社会的にも認知された。そして、しみん基金こうべの活動に関心を示してくれたのが「阪神・淡路コミュニティ基金」であり、3月の閉鎖を前にして3,000万円の助成をいただいた。これが大きな基本財産となった。また、神戸市からはNPO支援のための地域支援センターの一つであった中央区ボランティアセンター分室の一角を無償で借り受けることが出来、事務所も確保できることになった。
 NPO法人の認証を受け、2000年 1 月26日に法人登記も完了した。市内で活動する市民団体には活動資金を提供し続けてきた。しかし、資金面での苦労はいろいろあった。市民活動団体からは、大きな期待が寄せられているにもかかわらず、寄付の集まり方は芳しくなかった。
 神戸復興塾からは、同団体が企画している「こうべ i(あい)ウォーク」に参加された皆様の参加費を提供していただいた。また、しみん基金こうべの顧問をして下さっている柳田邦男先生からは、その講演費、交通費の全てを寄付して頂き資金の一部とさせていただいている。
 こうした苦しい財政状況をなんとか出来ないかとの思いから資金獲得のために出来たのが「ぼたんの会」である。ファンドレイジングとしての資金を集めている。神戸市内で活動するボランティアが、その活動に意味があるのに資金難…という状況があるかぎり、「しみん基金こうべ」も全身全霊で取り組んでいきたい。

5 「地域」の中でボランティアがコーディネーターをとることで何かが変革
 自治会組織の中にも一つの組織としての弊害が生じている。行政も同じであるが…。所謂「縦割り」である。他の部署で何をしているかが分からず、横の連携を取って何かをすると言うことが、ほとんどの自治会組織にない。
 我々は、ある地域の自治会組織に入り、縦横の横断的活動が効果的に行えるように支援をしている。この運営に関わって1年半になるが、とても良い効果を上げてきた。今後も更に活動の支援を行いながら、我々も新しい学びの機会としていきたい。
  
おわりに
 阪神・淡路大震災を契機にして様々なボランティア団体が誕生し、それぞれが地域社会の中で取り組んでいる。やはり先立つものは「お金」である。行動を起こそうとするときには、必ず資金(費用)が必要になることを考えて事業の展開を図らなければならない。一方で今後、地域社会は更に厳しい状況を強いられるため、市民活動無くしては「一人の人としてのいのち」を救うことが難しくなることも想像できる。
 そのためにも、寄付・会費・事業収入をはじめとする財政の組み立てをしっかりと考慮しなくてはいけない。
 また、人材確保が出来るような仕組みをつくり、事業の拡大、あるいは縮小などを考慮しながら取り組むことが肝要である。ボランティアたちのネットワークも大切である。ネットワークの強化を図ることで地域社会が活性化し、まちが生き、人が生きてくる。
 これからの時代、気づいた者がそれを言語化し、新しい感覚のもとで実践することが大切であることを述べたが、ボランティア、NPOだからといってあいまいな気持ちでなく、しっかりとした自分の意見を述べ、理念を持って活動と向き合うことが重要である。そのことで、信頼される市民活動を展開し、内容ある活動をすることが、阪神・淡路大震災で学んだことになり、教訓となって全国へ、世界へ発信していくことになる。これからの10年に向けて、より一層ボランティアとしての活動を充実させ、市民社会の形成に向けて更なる市民活動を展開していきたい。

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