阪神・淡路大震災と
ケミカルシューズ産業復興支援

「震災10年 神戸からの発信」推進委員会事務局
企画広報部長(神戸市企画調整局主幹) 
三 谷 陽 造


1.はじめに
 10年前の1月17日、神戸はかつて市民が経験したことのない大地震に襲われた。
 亡くなられた方が神戸市内でおよそ4,600人、負傷者約14,700人、全半壊建物が約132,000棟、全半焼建物約7,000棟と、市民のかけがえのない多くの命や財産が失われた。さらに、市内のほとんどの鉄道が被害を受けたほか、道路・港湾・公共施設などの社会資本や水道・電気・ガス・電話などのライフラインについても大被害を被った。
 また、市民の暮らしを支えてきた地域産業も甚大な被害を受けた。なかでも、長田区から須磨区にかけて集積していたケミカルシューズ産業については、壊滅的な打撃を被ったと言っても決して過言ではないだろう。
 筆者は、震災を挟み10数年、神戸の地域産業の振興に携わってきた。そして、特に震災後はケミカルシューズ産業の復興に取り組んできた。その経験から本稿では、ケミカルシューズ産業が歩んできたこれまでの10年を、神戸市の支援という観点から振り返ることにする。
(被害状況は神戸市発表資料による)

2.ケミカルシューズ産業の被害状況
 では、ケミカルシューズ産業が受けた被害はどんなものだったのか。日本ケミカルシューズ工業組合が調査した結果は次のとおりとなっている。
 ・ 日本ケミカルシューズ工業組合加盟192社のうち158社が全半壊・全半焼、関連企業約1,600社のうち約80%が全半壊または全半焼、被害総額3,000億円

3.地域産業への行政の支援
 もともと行政が地域産業を振興するのには深いわけがある。それは、地域産業が地域の住民の暮らしを支えているからである。つまり、集積が進んでいる地域産業では、従事する人がそこに住み、そこで収入を得、そして、そこで消費する。その結果、地域商業までもが潤うことになり、地域経済ならびに地域の活性化を図ることができるからである。
 しかしながら、バブル崩壊後の長期にわたる不況や、経済のグローバル化、産業構造の変化などにより、国内の地域産業は苦境に立たされている。ケミカルシューズ産業も例外ではない。中国をはじめとするアジア諸国からの低価格商品やイタリアなどからの高級商品、さらには国内他産地との競争が激化するなか、神戸市としてもどのようにこの巨大な地域産業を支援していくかについて頭を悩ませていた。
 今、国内の地域産業を抱える自治体は、さまざまな工夫を凝らして、業界と一体となって地域産業の振興に取り組んでいる。既存産業をそのまま活性化しようとするケース、全く新たな産業を誘致し或いは起こそうとするケース、そして、それまであった地域の資源を活かして活性化に結び付けようとするケースなど、その形はさまざまであるが、いずれも地域産業を活性化することにより、地域の活性化を推進しようとしている。
 そのような状況のなかで、阪神・淡路大震災が発生した。

4.神戸市の復興支援策
 阪神・淡路大震災では、ケミカルシューズ産業に関わる人たちの住む所、働く所、消費する所の多くが失われてしまった。
 そこで、筆者が所属していた経済局工業振興課(現産業振興局工業課)では、業界にとって必要な物は何かということを考えた。そして、まずは「事業を再開するための資金」、次に「従業者などの住む場所」、最後に「事業を再開するための場所」ということになった。「資金」については、緊急融資を実施することがいち早く決定され、「住む場所」についても仮設住宅の建設が直ちに始まった。一方、地域産業の復興に重要な役割を果たす「場所」についてはどうであったのか。
 当時我々が考えたことは復興への道筋をどうつけるかということであった。それは、応急的な立ち上がりから恒久的な復興への支援策をどうつくっていくか。つまり、復旧から復興、そして次なる展望という3段階の施策の組み立てが必要であり、その施策が業界の課題に対応しているのかどうか、業界との協議が不可欠であったが、震災直後は業界においても、当面の自社の課題に追われており、業界との協議は少し後のことになる。
 そこで、神戸市ではまずは、事業を再開する場所を確保しようという結論になり、仮設工場の建設に踏み切った。
 ここでは、この3つの段階に分けた支援策を改めて見直してみたい。

@ 応急支援(仮設工場)
 仮設工場は、先述のように業界の応急的な立ち上がりを支援するには、事業を再開する場所が必要であると考えたからである。ここで、当時考えた仮設工場建設に関する主な問題点を整理してみると以下のようになる。
 ア)仮設住宅と違い仮設工場は先例がないことから、国に補助制度がなく、建設に要する費用をどうやって捻出するか。
 イ)仮設住宅建設用地が膨大な数必要ななかで、入居企業の操業環境を確保できる建設用地をどこに確保するか。
 ウ)仮設とはいえ工場なので、ケミカルシューズと機械金属加工では構造が異なるなど、どのような造りの工場を建てるか。
 エ)応急的な立ち上がりを支援しようとしているなかで、入居対象企業・入居期間・家賃をどのように設定するか。
 神戸市では国・県とも連携・協議しながら、これらの問題点を次のように解決した。
ア)については、中小企業事業団(現中小企業総合事業団)の高度化事業を活用し、神戸市の外郭団体((財)神戸市都市整備公社)が兵庫県から無利子融資を受けることになった。
イ)については、基本的に工業専用地域または市街化調整区域に建設することとし、臨海部に3か所、工業団地内に2か所、市街化調整区域に1か所の計6か所に170戸を建設することとした。
ウ)については、職員が中小企業にヒアリングを行い、おおよその意見を聞いたうえで構造を決定した。
エ)については、まず入居対象を、り災証明書が全壊・全焼または、半壊・半焼であっても何らかの理由で元の場所で操業が不可能な中小企業とした。次に入居期間は、あくまでも応急的な支援であることから5年間とした。また、家賃については、無料ということは考えられないが、できるだけ低額に抑えようとした。当時の民間相場は多くの貸工場が無くなったこともあり、高騰していたため、震災以前の相場を調査しながらそれよりも安く設定した。
 こうして、2月25日には第1次の募集を行い、4月1日から入居が始まった。

[表1] 仮設工場の建設戸数等

名 称

神戸インナー第4工業団地

苅藻島

南駒栄

神戸ハイテクパーク

興亜池公園

高塚台

所在地

長田区

駒ヶ林南町

長田区

苅藻島町2

長田区

南駒栄町

西区

櫨谷町寺谷

西区

高塚台2

西区

高塚台6,

対象業種

機械金属等

ケミカルシューズ関連

ケミカルシューズ関連

機械金属

ケミカルシューズ関連

機械金属を除く製造業・ケミカルシューズ関連

面積・戸数

952

852

805

757

2155

20025

1006

2403

12026

6024

21413

5817

2409

1205

4821

入居日

平成7.4.1

平成7.4.1

平成7.5.1

平成7.6.17

平成7.6.3

平成7.6.27

 このように、平成7年の夏にはすべての仮設工場が稼動することになったわけであるが、やはり担当していた者としては反省もある。一つは、市街地の仮設工場が少なかったことである。やはりそれまで操業していた地域での再建を願う声は強く、特にケミカルシューズでは、長田で再建したいという思いが強かったように思う。神戸市では、5年後の仮設工場からの退去のことを考えると、神戸市の所有地を仮設工場の建設用地にすることがベストであり、民間の用地の借り上げは難しいと考えていたが、今にして思えばその方法だけでなく、市街地にもっと建設した方がよかったのではないかと考えることもある。二つめは、仮設工場退去後の本格復興について、もっと入居企業と話をすべきであったということである。もちろん何もしなかったわけではなく、集団化の勉強会を行うなどしてきたが、入居企業の規模が小さいこと、また、不況の影響と震災の被害で資金繰りが苦しいことなどから、結局はあまり入居企業の力になれなかったのではないかと感じている。

A 恒久的支援(復興支援工場)
 仮設工場を建設し入居を進めていく一方、仮設工場の入居期間満了後をどうするかということを、神戸市は考えていた。もちろん、仮設工場の建設を考えると同時にその後の施策も考えていたが、平成8年になり、神戸市が工業専用地域の民有地約1.4haを買い上げたことから、ケミカルシューズを含めた神戸の中小企業の本格復興のための貸工場建設が具体化した。
 復興支援工場は、当初、鉄筋コンクリート造5階建の建物を、3年間で5棟建設する予定であったが、企業の要望などにより、多少構造を変更し、3年目に建設予定の2棟を1棟にした。
 仮設工場と異なり、神戸市には高層化された工場アパートがあり、構造的なことでは悩むことはなかったが、問題は家賃の設定であった。本設の貸工場として民間貸工場の営業を妨げない家賃設定ということで、相場の2割程度抑えた家賃を設定した。
 また、建設については、仮設工場と同じく高度化事業を活用することとなった。

[表2] 復興支援工場(H16.1.1ものづくり復興工場に名称変更)の概要
・所在地  神戸市兵庫区和田山通1丁目2番25号
・敷地面積 18,570.38u
・施設概要

 

A 棟

B 棟

C 棟

D 棟

構 造

鉄筋コンクリート造

5階建

鉄筋コンクリート造

5階建

鉄筋コンクリート造

5階建

鉄筋コンクリート造

5階建

床面積

5,382u

5,443u

5,382u

9,732u

対象業種

ケミカルシューズ他

機械金属加工・

ケミカルシューズ他

ケミカルシューズ他

機械金属加工・

ケミカルシューズ他

ユニット面積

72u

72u

72u

70u

ユニット数

46ユニット

49ユニット

49ユニット

98ユニット

使用料
(月額)

1階  1,500円/u

2階以上1,200円/u

1階  1,800円/u

2階  1,500円/u

3階以上1,200円/u

1階  1,500円/u

2階以上1,200円/u

1階  1,900円/u

2階以上1,200円/u

床荷重

1〜5階 1.5

1〜2階 2.0

3〜5階 1.5

1〜5階 1.5

1階   2.0

2〜5階 1.5

E V

荷物用 2t(1基)

乗用 11人(1基)

荷物用 3t(1基)

乗用 11人(1基)

荷物用 2t(1基)

乗用 11人(1基)

荷物用 2t(2基)

乗用 11人(2基)

供用開始

平成10年5月

平成11年4月

平成12年4月

共益費
(月額)

300円/u

駐車場

入居企業用:242台  来客用:42台  身体障害者用:5台

使用料:上段15,000円/台・月 下段18,000円/台・月

駐輪場

250台

その他

B棟に屋上クレーン設置(定格荷重2.8t)

D棟に神戸リエゾン・ラボ(産学官連携研究工房)を設置

 復興支援工場へは、仮設工場入居企業のほか被災しながらも民間の貸工場などで操業していた中小企業が入居してきた。しかし、長引く不況の影響もあり、入居企業の大半は経営状況が苦しく、家賃を滞納する企業が続出している状況である。神戸市としては、本格復興のための施設であることから、企業が長期にわたって操業できることを念頭において建設したが、結果的にこのような事態になったことは、非常に残念であるとしか言いようがない。

B  民間貸工場家賃補助
 復興支援工場を建設した後、神戸市は民間貸工場家賃補助制度を創設し、民間の貸工場で操業している中小企業を支援することとした。この制度は、復興支援工場と民間貸工場との家賃差を補助しようというもので、最高で年額36万円となっている。金額的にはわずかではあるが、企業活動を支援するという意味では画期的な制度だといえるのではないか。

5.将来を展望した施策
 さて、仮設工場の入居が行われている5月、新長田ではケミカルシューズ産業の復興について考えようと、日本ケミカルシューズ工業組合が関係団体や神戸市に呼びかけ、「ケミカルシューズ産業復興研究会」を設立した。そして6月には“くつのまち:ながた”復興プランを発表した。このプランは、ケミカルシューズ産業の復興と新長田のまちの復興・活性化は切り離せないものとしたうえで、業界の課題も踏まえて産業とまちの復興に向けて提案したもので、核施設(アンテナショップ)や靴学校などの必要性を説いている。
 6月に提案されたプランをもとに、研究会は4つの分科会を設け、プランの具体化を図ろうとした。結果的には、後述するシューズプラザや神戸ブランドプラザ、MICAMへの出展などの新しい試みに結びついたのであるが、一方では、「卸の集約化」や「足に優しい靴づくり」のようにうまく進まなかった項目もある。
 神戸市では、研究会にメンバーとして積極的に参加すると同時に、ケミカルシューズ産業の集積地である新長田駅北地区のまちづくり協議会とも常時接触し、まちづくりの動きなどをサポートしようとしていた。それが「見える工場」の建設補助制度の創設につながっている。

@ 「見える工場」建設補助制度
 新長田駅北地区のまちづくり協議会では、震災からの復興にあたって、さまざまな構想を打ち出した。そのひとつがシューズギャラリータウン構想である。この構想は、地域の基幹産業である「靴」をまちの活性化のための資源として活用しようというもので、まちの集客力を高め、新たな観光産業を生み出そうとしたものである。神戸市では、その構想を支援する意味で、「見える工場」建設補助制度を創設した。この制度では、1件あたり最高2千万円まで補助することとしていたが、現在のところ1件しか適用がない。
 残念なことではあるが、ケミカルシューズ業界の現状を考えるとやむを得ないのかもしれない。

A 神戸ブランドプラザの開設
 “くつのまち:ながた”復興プランでは、長田にアンテナショップをつくり、“くつのまち”をアピールしていこうということであった。そこで、神戸市では業界と協議しながら長田にアンテナショップをつくろうと研究会まで組織し、国にも支援を要請していた。そのなかで、東京にアンテナショップをつくり、神戸の靴をアピールしていこうということになってオープンしたのが「神戸ブランドプラザ」である。神戸ブランドプラザは、平成11年に表参道に開設し、後に代官山に移転した。この施設については、それまで、製造はしても直接消費者と向き合うことがなかったケミカルシューズ業界にとって、将来を見据えた全く新しい試みであった。惜しむべきは業界が小さすぎ、そこからさらに踏み込むことができなかった点である。筆者は、神戸ブランドプラザを企画したとき、ここを拠点に、業界が製造から小売、そして自社ブランドからデザイナーズブランドへと進んでいくことを期待していた。もちろん、これをきっかけに小売も行う企業が現れたことは喜ぶべきことであり、そこからまた新たな展開が生まれるものと期待しているところである。なお、神戸ブランドプラザはその役割を果たしたことから、平成16年閉鎖された。

B シューズプラザの建設
 さて、ケミカルシューズ産業の集積の中心である、新長田駅周辺に核施設をつくろうと研究会を組織し、どのような施設が必要なのか、業界・まちづくり協議会と一体となって研究を進めていたとき、「中心市街地活性化法」が成立し、その適用を受けて核施設が具体化することとなった。平成12年に建設されたシューズプラザは、新長田駅北地区の活性化とケミカルシューズ産業の新たな展開を目指して、“くつのまち:ながた”のまちづくりを進めようとしたものであるが、ケミカルシューズ産業の現状、さらには新長田地域の疲弊の現状から、追随する施設ができてこない中で、地域や業界と連携しながら奮闘しているのが実情である。今後、シューズプラザを活用した業界や地域の新しい動きが望まれる。
[シューズプラザの写真は後掲]

C MICAMへの出展
 平成13年秋、イタリア靴工業会との連携により、世界3大靴展示会のひとつであるMICAMに2社が出展した。日本からの出展も初めてということで、どうなるのかと心配していたが、出展した2社の靴の品質が良かったこともあり、評価は上々であった。とはいえ最初から商売になるほど甘くはないが、出展を重ねるごとに発注も増えており、ロンドンやニューヨークの小売店に長田の靴が並ぶことになったのは、喜ぶべきことであるものと思っている。願わくばこの2社に続く企業の出現を望みたいところである。

6.これからのケミカルシューズ産業
 さて、震災から10年を経て、ケミカルシューズ産業はどこへ向かっていくのだろうか。
 最近の業界を見ていると、いくつかに分類できるのではないかと考えられる。ひとつは、従来どおり問屋ブランドで靴を生産し、みずからはリスクを負わないグループ。このグループは、景気がよく問屋の目利きができている時代は、利益も大きく上げていたが、最近のように何が売れるかわからない時代には今後の発展を望むことは困難である。またひとつは、問屋との取引も続けながら、自社で小売も行うグループである。このグループは数が非常に少なく、業界では先導的な取り組みを続けている。このグループでは、次々と新製品を出す必要があり、努力も必要であるが、ここに加わる企業が現れることを待ちたい。
 最後に、最近の業界には、足型を測定しセミオーダーの靴をつくる企業が現れている。もちろん現在も問屋とも取引を続けているが、その一方で新しい試みとして足に優しい靴づくりを目指している。
 このように業界も多様化してきており、画一的な企業群の業界から大きく変わっていこうとしているように見受けられる。こうした業界の多様な動きが今後業界の活性化につながっていくのではないかと期待しているところである。

7.おわりに
 ケミカルシューズ産業を取り巻く状況は相変わらず厳しいものがある。中国をはじめとする外国製品との競合、消費不況による売り上げの低下など、中小企業の集まりである業界には一見すると明るい未来は来ないようにも見える。しかしながら、日本人は今から下駄や草履を履くのだろうか。そんなことはなく、これからも我々は靴を履き続ける。コストでは中国製品には勝てない、品質においても中国製品は良くなっており、一昔前とは異なっている。また、デザイン面ではイタリア製品に劣っている。しかし、日本人の足に合い、デザイン的にもすぐれた高品質の靴をつくっていけば、まだまだ業界が発展する余地はあるものと思っている。
 震災から10年、ケミカルシューズ業界はさまざまな取り組みを行ってきた。また、神戸市も全面的に支援をしており、今後とも業界の積極的な取り組みを期待したい。
 筆者は現在、「震災10年 神戸からの発信」に取り組んでいる。いろんな立場の方々がそれぞれの10年を発信しようとしているなかで、あらためてケミカルシューズの10年を見直してみた。本来であれば、もっと詳細に述べるべきところであるが、書けなかったことも沢山ある。最後にひとつ、ケミカルシューズ産業の未来は決して暗くない。もちろん、業界の中での淘汰はあるだろう。しかし、ケミカルシューズ産業はこれまでもさまざまな苦難を乗り越えてきた。業界の底力に期待して筆を置くこととしたい。

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